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6作品紹介 |
滝のにて 萩 M40 道なりに萩が覆い被さり風で静かに枝が揺れる。 白緑色をした幼葉がまるで花を 咲かせたように見える。風にユサユサと揺れる萩 の枝を描きたい。 |
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もうひとつの冬の華 変80 2021 厳冬の聚富に入る。枝を大きく広げたヤチハンノキを 見上げると松ボックリに似たシベが冬の華のように 鈴なりに枝に吊り下がりまるで花が咲いたように 僕には見えた。 |
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寂光 変80 望来本覚寺より望む松林の黄昏 2020 |
夜韻 月明かり | ||
移り行く季節の中で
雪残る時 変40
札幌市の教員正式採用は翌年の二月。それまでの期間を父のつてで当時石狩川の河口に位置
した石狩電話局で電話線施設や電柱設置などのアシスタントをして過ごした。
四季折々の聚富を巡り眺め一日の大半を聚富の空気の下で過ごしたが、得難い経験ができて
今に思うと新鮮な日々だった。
初めて社会にでて多くの人達に出会った。その後中学校美術科教員として過ごした40年。
退職した後も変わらず聚富を走り廻って今に至っている。
この田畑広がる聚富の中で、心に触れたモチーフを自由にスケッチし、時には土手に腰かけ暗く
なる迄ボーッと黄昏を見て過ごした。僕の絵も精神もこの風景の中で育てられ教えられた。
日本画というジャンルでの表現に拘って描き続けられたらいいと思ってきた。
京都という拠り所がなくなった時、敢えて膠や岩絵の具なのかという問いはあった。
学んできたものは技術だけなのだろうか。僕の中心に「日本画的なるもの」を据え続けるにはどう
したらいいのだろう。様々に自問自答が続いた。
描く事に変わりないと思う一方、ここで生まれ育った北海道の風土や美意識やアイデンティティ。
それが何かを考えてきた。辿り着いたのは「日本画を描くこと」でも「日本画家」でもなかった。
学び方を教えてくれた京都を出発点とし「自らの学び」の連続の中で、僕なりに「絵とは?」とい
う問いを持つこと。
聚富という地で描き続け、僕ができる表現で答えを出していくことだった。