タイトル作品 「晩秋の蓮池」 F60横X2  2022リメイク(鎌倉) 鶴岡八幡宮の蓮池 秋の日
 
  
 白崎博 作品集  開設 2022/11/10  更新2024/4/29  (1,820)
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    早春 2024/4/18
       

  僕が思うこと
 
専攻科当時、直接指導を受けた教授陣に小嶋悠司、石本正、秋野不矩がいた。
とある合評会の折、立てかけてあったパネルを裏にし、コンテで足を左右に大きく広げて走る馬の様子を「こう見えるんだよね」って嬉しそうに描いて見せてくれた。
舞子が創画会に登場しようとする頃で、フレスコやロマネスク期に傾倒していた時期だったと思う。
作家としてのものの見方や考え方であり身をもって生き方を教え伝えてくれていたのかもしれない。あこがれ尊敬する先生方や先輩達を間近に見て必然的に僕も創画会に出そうと思った。
高山辰雄も石本正も芸術新潮で大きく取り上げられ示唆に富む寄稿が多かった。
日本画界の中心的存在であったにも関わらず違う位置から描こうとしていたのだろうか。
ジャンルや古今東西超えて「絵とは何だろう」という求道者的な信念のように思う。
そしてそれから半世紀経った現在も、僕には誰よりも高山辰雄と石本正の目を大事にして描いているつもりだ。
迷ったり無聊になった時、高山辰雄と石本正の本・画集を開く理由でもあるだろう。

     
深く穴を掘るには幅がいる」…専門分野の伸ばし方として
          ―書家東志青邨先生より教わった言葉―

とある会議で、人材開発の問題─能力の専門化(スペシャリスト)と総合化(ゼネラリスト)に関する議論が行われたときの事です。スペシャリストというと、とかく「狭く深く」、ゼネラリストというと「広く浅く」という視点で語られるが、それはおかしいと土光氏。専門家が深く進むのは当然だが狭くなるとは不可解だ。本当に深まる為には、隣接の領域に立ち入りながら、だんだん幅を広げて行かなければならない。深さに比例して幅が必要になる。
つまり真の専門化とは深く広くすることだ。
そうして、この深く広くの極限が総合化になるのだ。

独りで絵を描いていくことは決して容易なことではない。この地面に穴を掘る例えが僕にはとても腑に落ちてああそうなのかと思う。絵描き(というスペシャリスト)はシャベルやスコップ(絵具や筆)を持って自らこれという地面に穴を掘るようなものかもしれない。手の届く範囲であれば作業も容易だろうが、さらに深く掘ろうとすると途端に窮屈でどう掘るか悩む。そしていつか、穴を広げながらより深く掘っていることに気付く。
まっすぐに掘り進められなかったら穴は中心を反れ、いびつな縁や穴ができる。
そういう絵がいいとは思えない。

真っすぐに掘り進めようとする意志や努力があって初めて「穴を深く掘る事」という意味になるのだろう。
もう一つはその地面だ。深く掘るために周囲を削りながら掘っていく。
今まで意識することもなかった周囲を初めて理解することになる。それが「幅を広げる」ということなのだろう。
今まで未知だったものが「知」として自分を広げてくれる。

「穴を深く掘る事」と「周囲を広げていく事」この二つが相関して自分を成長させてくれる。
僕にとって「絵を描く」とはそういうことなのだと思う。
 

 

 
白崎博略歴

■1950 美唄市生まれ
■1977 京都市立芸術大学日本画専攻科修了

■公募展・団体展
 1974 創画会春季展(京都展)入選
 1976 第3回創画展(本展)入選
 1985 蒼晨会日本画展(〜2013大丸セントラル他)
 1991〜2000 「北の現代貝象展」
 1996.97 さっぽろ美術展


■個展・グループ展
 1981 大同ギャラリー(82、83、‘96、札幌)
 1989 さいとうギャラリー(89、札幌)
 2007・2011 大丸セントラルスカイホール(札幌)
 2013 北都館(11月)
 2019 群来展 アートスペース201
    白崎博日本画展 大丸セントラル スカイホール
 2020 群来展 コンチネンタルギャラリー
    喜茂別町 ギャラリー杣人
 2021 グループ環 群来展
 2022/11月 白崎博展 大丸セントラル スカイホール


■教室
 砂(sya)の会  セントラル7Fスカイルーム 

 

 

 
  
 
河骨図(コウホネズ) M50 鶴の湯温泉
群生する蓮の向こうに河骨群が広がる。滝野でスケッチし定花ー輪をこの絵に添えてみた。
河骨が掲載された技法書から、制作の進め方や考え方を通して心構えを学んだ。上村松篁、東山魁夷、片岡堅二、橋本明治、福田豊四郎という戦後の混乱した日本画界でキラ星のように輝いていた日本画家の執筆が今では珍しい。
画学生時代その作家たちの真摯な姿勢に触れ、芸術新潮では石本正や高山辰雄の特集記事を貪るように読んだ。芸大の傍に京都国立博物館があって、ほとんど無人の展示室はお気入りの場所だつだ。
芸大のかび臭い図書館は絵専時代からの貴重な粉本(模写お手本)があってそれを出してもらって見ていたものだ。
牧谿の三福対を大徳寺の特別開帳で見た。博物館や写真でしか知りえなかった世界が薄暗い中で手に触れられる程見ることができた°帰省の折には上野の博物館と日本橋山種美術館は必ず行った。

その時々の様子や経験が今の僕の宝になって画集見るたびに蘇ってくる

    白崎家の菩提寺 唄市「正教寺」 へ寄進。
 

 

聚富しっぷ
石狩市厚田区を形成する地域のひとつ
厚田区の最南端に位置しその先は浜益村へと続く。

2020.3.31
厚田小中学校閉校に驚く。校舎前の脇道から進んで田圃に向かう
小路は、今も変わらず僕が車をとめ時間を過ごす写生地でもある。

ハクチョウの群れが田を覆い早春の空を舞う頃から、花を咲かせ
実をつけ、晩秋から雪にすっかり覆われる冬にかけて、僕はずっと
ここを見続けてきた。そしてこれからもここで描き続けるだろう。